シンガポール金融管理局

シンガポールのマネロン事件とAML強化の教訓

2023年、シンガポールで発覚した過去最大級のマネロン事件。巨額資産の洗浄スキームや当局の対応、AML制度の課題と今後の教訓を詳しく解説します。日本の金融機関にも示唆を与える事件の全容と、国際的な資金洗浄対策の課題を多角的に考察し、今後の対応の方向性を探ります。


 2025年7月、シンガポール金融通貨庁(MAS)2023年に発生したマネロン事件をうけて、Credit Suisse、UBS、Citibank等の金融機関に対して合計2,745万シンガポールドル(約31億円*)の制裁金を科しました。
本日はこのマネロン事件を解説するとともに、シンガポールのAML制度の課題について解説します。
 

 (*文中における日本円の換算レートは、記事執筆時点のものを使用しています)

 

目次

 

 

シンガポールで発覚した巨額マネロン事件 

2023年8月、シンガポール警察は国内有数の高級住宅街で資金洗浄に関与した外国人グループを摘発しました。押収・凍結された資産は、不動産94件、高級車50台、金の延べ棒、現金、ジュエリー、暗号資産など多岐にわたり、その総額は当初発表で約10億シンガポールドル(約1,140億円*)に上りました。 
その後の捜査で資産規模は拡大し、最終的には約30億シンガポールドル(約3,420億円*)に及ぶ不正資産が関連口座から差し押さえ・凍結されました。 

逮捕・起訴されたのは外国籍の男女10名で、全員が中国福建省出身の華人富裕層でした。捜査当局によれば、このマネロン・ネットワークは中国本土での高利貸しや各国における詐欺、さらにフィリピン拠点のオンライン賭博シンジケートといった組織犯罪で得た違法収益を資金源としていたといいます。
容疑者グループは中国、フィリピンを拠点とした高利貸しや詐欺、オンライン賭博などによって得た不正資金をシンガポール国内に移し、高級コンドミニアムや高級車、宝飾品などの購入に充てることで資金を洗浄・蓄財していた模様です。
金融センターであるシンガポールにおいて、史上最大規模の資金洗浄事件として国内外に衝撃を与えた本事件を受け、当局は関係資産の没収とともに徹底捜査を進めています。
 

 

用いられた典型的なマネロン手法 

今回の事件で明らかになった資金洗浄スキームは、典型的なマネロン手法とされる「プレースメント・レイヤリング・インテグレーション」の3段階を巧妙に利用したものでした。それぞれの段階で行われた手口を見てみましょう。 

▶プレースメント(不正資金の導入)
 犯罪収益を合法的な金融システムに流し込む初期の段階です。
本件では、容疑者らはまずシンガポール国内で複数の法人を設立し、自身または関係者を名目上の経営者として銀行口座を開設しました。その際、資金の入金目的を正当化するために偽造された文書が銀行に提出されており、一部の金融機関ではこれを疑わしいものとして当局に報告していました。
また、容疑者らはシンガポール人の配偶者や就労ビザも取得して滞在資格を整え、表向きは現地居住者・投資家として合法的に見せかけていた点も、このプレースメント段階の典型的な特徴といえます。 

▶レイヤリング(資金の分散・変換)
導入した資金の出所を隠すため、複雑な取引を通じて資金を転々と移動・分散させる段階です。
容疑者グループはシンガポール国内の多数の銀行口座(法人・個人)や暗号資産ウォレットを保有し、資金を相互に転送・分散させて見えにくくし、追跡を困難にしていたとみられます。
 

▶インテグレーション(資金の浄化・統合)
最終段階では、分散された資金を実体経済に組み入れ、見かけ上合法的な資産として定着させます。
本件では、レイヤリングを経た不正資金で高級不動産や高級車、宝飾品などを次々と取得し、富裕層としてこれらの資産を保有する形で不正資金が洗浄されていました。こうして取得された資産は一見すると正当な投資収益や事業利益の蓄積に見えますが、実際には犯罪収益が起源となっており、容疑者らはマネロンを通じて巨額の不正利得を社会に溶け込ませていました。

以上のような三段階の巧妙な手口が用いられたため、捜査当局が不正を把握するまでに時間を要しましたが、最終的には銀行から当局へ提出された疑わしい取引報告や内部通報などを端緒に全容解明に至りました。
このスキームは基本的に日本で発生した「リバトン事案」と類似しており、日本国内の金融機関における
AML担当者にとっても、決して他人事ではないといえるでしょう。 

 

MASおよび捜査当局の対応:制裁措置とAML規制強化 

事件発覚後、MAS(シンガポール金融通貨庁)は、事件に関与した銀行を含む複数の金融機関に対する調査を行い、内部管理態勢の不備を洗い出しました。その結果、2025年7月4日付で計9つの金融機関に対し、総額2,745万シンガポールドル(約31億円*)の制裁金を科す処分を公表しました。対象となったのはCitibank、UBS、Julius Baerといった大手金融機関を含む銀行・金融サービス事業者で、いずれも本事件の不正資金が通過した口座を保有していた機関です。 

規制面では、シンガポール政府は事件発生後に委員会を設置し、マネロンおよびテロ資金対策制度の見直しを進めています。見直しの柱は以下の4点です。
(1) 法人
に係る諸制度のマネロン悪用防止
(2) 金融機関による疑わしい取引の監視と情報連携強化
(3) 不動産業者や企業サービスプロバイダーなど、非金融セクターの監督強化
(4) 政府横断的な疑わしい活動モニタリング体制の強化
 

 

 

シンガポールのAML制度の課題 

今回の巨額マネロン事件は、シンガポールのAML制度におけるいくつかの構造的課題を浮き彫りにしました。
まず指摘されたのが、金融機関でのKYC(顧客確認)手続の「形式化・形骸化」です。MASの調査によれば、関与した金融機関の多くは、表面的にはAMLポリシーやチェック体制自体は整備されていたものの、実際の運用がずさんで一貫性を欠いていました。
特に、高リスク顧客の経済状況や資産の出所(Source of Wealth)の裏付確認が不十分でした。提出された書類に明らかな矛盾や疑わしい点があっても適切な精査がなされず、そのまま受け入れられていたケースもありました。
結果として、信ぴょう性に疑問のある口座開設や大口送金が看過され、不正資金の流入を許し温床となってしまいました。さらに、一部の金融機関では顧客のリスク評価が適切に行われず、本来は強化すべきモニタリングや疑わしい取引の届出が漏れていたことも判明しています。
 

シンガポール特有の制度的論点として名義取締役制度とUBO(実質的支配者)の把握の困難さが挙げられます。
シンガポール会社法では、現地に居住する取締役を1名置くことが義務付けられていますが、この要件をクリアするために「レンタル取締役」サービスが広く利用されています。外国人であっても容易に法人を設立できる環境は、ビジネスの促進に資する一方、裏を返せば名義上の取締役を立てるだけで、真のUBOが表に出ない構造を作れてしまうということです。
本件でも、容疑者らは自身や関係者を登記上の取締役として複数の会社を設立しましたが、実際の出資原資や意思決定は、背後にいる中国に拠点を置く黒幕が握っていた可能性が指摘されています。
シンガポールでは、企業に自社のUBOを登録・報告させる名簿制度を導入済みですが、実効性確保にはさらなる取り組みが必要とされています。今回の事件は、名義役員や多層構造を駆使することで、既存のUBO把握網をかいくぐることが可能であるという現実を浮き彫りにしました。
 

 

 

事件の教訓と国内金融機関への示唆 

本事件の教訓としてまず挙げられるのは、「形式だけのAML対策では不十分である」というごく当たり前でありながら難しい現実です。
金融機関にとって、KYCで身分証を集めるだけ、チェックリストを埋めるだけでは不正を防げません。重要なのは、顧客の背景にあるリスク要因(多重国籍・急激な資産増・事業内容の不一致など)に日常的に目を配ることです。そして少しでも不審な点があれば、社内でエスカレーションし、必要に応じて取引停止や当局届出を行う毅然とした対応が求められます。

特に近年はオンラインカジノや暗号資産ビジネスなど、新たなリスク分野で巨額の利益を得た富裕層が世界的に増加しています。彼らの資金が本当にクリーンなものか、提出された書類だけでなく多面的な情報源による裏付けが必要です。 

日本国内の金融機関にとっても、今回の事件は対岸の火事ではありません。むしろ日本は世界有数の預金大国であり、長い低金利下で「休眠資金の活用先」を探す海外の不正マネーにとっては格好のターゲットとなりかねません。
実際、シンガポールで摘発された容疑者の中には、日本にも居住歴がある者が含まれていました。日本の銀行が知らぬ間にこうした不正資金の受け皿に利用されるリスクはゼロではなく、むしろマネロン対策が厳格化する海外から資金が流入してくる可能性もあるのです。

「自社には関係ない」と思わず、グローバル水準でのAML態勢の構築・強化に継続的に取り組むことが、今後ますます重要になってきます。 

 

 

 

 

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2023年6月15日発表のプレスリリース)

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